冒険者は魚拓王の夢を見るか?

オーシャンフィッシングに夢中です。

それというのも、数日前、たまたま取得できたアチーブメントが嬉しかったから。どんなアチーブメントかと申しますと、「セイレーン海沖合の魚拓王」「紅玉海沖合の魚拓王」です。

ええ、該当する海域のお魚をすべて釣り上げたら、獲得できるアチーブメントですね。

狙ったわけではなくて、本当に、たまたま取得できたアチーブメントなんですよ。でもまさか、取得できるとは思わなかったアチーブメントだから、嬉しくてね。それでついついオーシャンフィッシングを周回しているのでした。

でもなかなかキビシー!

特に幻海流のヌシなんて漁師の直感時間が少なくありません!!??

ヌシを釣るための餌に持ち替えて釣具を投げて、さほどたたないうちに、直感時間が終わってるんですけど!! うわーん、これじゃ魚拓王になるなんて無理だよう、と嘆きつつ、それでも新たに釣れたお魚があると、嬉しくなったり。

今日はね、こちらのお魚が初めて釣るお魚でした。

海神の寝台という二枚貝なんですが、こちらを魚類図鑑で見直すと、なかなか興味深い記述をされています。

なるほど、エオルゼアの人々はそういう想像をしたのね。貝殻の寝台なんて、ずいぶんロマンティックで乙女チックな寝台だなあと思ってしまうからこそ、あの海神を思い出して微笑みが浮かんでしまう。

あのお人は、貝殻の寝台なんてガラじゃないと拒絶するタイプなのかしら、それとも、自分に対するエオルゼアの人々の無邪気な想像を悠然として受け入れるタイプなのかしら。

長い長い時間、それこそ冒険者が英雄になる前から、神々と人々との間にはいろんな物語が生まれていたんだろうなあ、と思い至ると、ちょっとね、信仰篤いエオルゼアの人々に先んじて、冒険者が神々の真の姿を知ったことにズルっこをしてしまったような気持ちにもなります。

冒険者よりよっぽど強い気持ちで神々を想っていた人々だっていると思うのよ。

その人たちこそ、神々に会うべきだったのではないかなあ、と思うときが、たま〜にあります。

……まあ、でも、それこそ無粋な遠慮というものかもしれません。

わたしには信仰者の考えってよくわからないのだけど、きっと信仰対象と人の関係は、第三者が口出しすべきものではないんだろうと思います。たとえ、神々とじかに言葉を交わした存在であっても、他者の心の中にいる信仰対象に触れることはできないんだろう、とも思いました。

でも想像して楽しむ程度はいいですよね。

きっとあの神々は、人々が生み出した、あらゆるものに宿る「神々につながる物語」を、本当に嬉しく感じ、心から楽しんでいたに違いないって、想像したのです。そのとき、神々とエオルゼアの人々は繋がっていたに違いないって、思ったのです。タレイアの幸子さん(仮称)と戦うたびに、わたしはそう思っちゃうのですよ。

----それはそれとして、うちの冒険者があらゆる海域の魚拓王になれる日は訪れるのかしら?

やー、魚類図鑑の記述を見ていると、面白いからね。コンプリートしたくなるんですよねえ……。本当に、このエオルゼアの世界は、隅々まで楽しめる要素がいっぱいで嬉しいですよ!

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