
つよニューで新生エオルゼアを遊んでいます。
どこまで進んだかといえば、この画像の辺りまで。
つよニューメニューで言うなら、第七星暦ストーリー2です。
きな臭い雰囲気が漂い始めた、あの頃です。
今、プレイし直すと、当時とは違う感想を抱くところもあって、面白いです。
というか!
昨日はリセット日だったというのに、新生ストーリーが面白くてやめられなかったんですよ!!
先の展開も知ってるのにね、新生エオルゼアの続きをプレイしたくてたまらなかった。
無人島の、捕獲した動物たちの機嫌が底辺を彷徨ってましたね。
昨日はお世話、放置してしまったものなあ……。
というわけで、ここから先は現時点まで遊んだ新生エオルゼアの感想です。ネタバレ配慮なしの内容となりますからご了承ください。

新生エオルゼアを遊んで、アルテマウェポンとの戦いが終わった後です。
一気に忙しくなってきた暁の血盟。政治的な事情も絡むようになり、モードゥナに引っ越しました。
そのころに、ドマからユウギリさんたちがやってきたのですね。
ああ、懐かしいなあと感じながらプレイしていました。
わたしはまだ、FF14を始めて間もない時期じゃなかったかしら。
パッチ2.3あたりのPVとか、PlayStationStoreで見ることができてたんですよね。
だから提督が「リヴァイアサン」とか叫んでいたところを見た記憶があります。
ユウギリさんとサンクレッドが双剣を持って戦っていたところも、懐かしいなあと感じました。
おおむねそんな気持ちで落ち着いていたのですけれど、今、見直して、もやっとしたところがこの場面。
ウルダハ王宮を訪れたユウギリさんたちの受け入れをどうするか、砂蠍衆の皆さんが話し合いをするところですね。
当時はなんと感じたんだったかなあ。
当時の感想はもう覚えてないのですけれど、ブログにも書いてなかったのですけれど。
今、感じることといえば、「ロロリトさんのいうこと、間違っちゃいないよなあ」ということでした。
やー、冒険者としてウルダハのあちこちに出没してるじゃないですか。
リトルアラミゴにいる人たちの事情も知ってるわけじゃないですか。
だから、そうした難民の問題が解決してないのに、新たな難民を受け入れるなんてとんでもない、というロロリトさんの主張は間違えてないように感じたんですよね。や、ユウギリさんは大好きなキャラクターですし、ドマからやってきた人たち、戦火を逃れてやってきた人たちを休ませてあげたいという気持ちもある。
でもだからと言って、自国の民より他国の民を優先するとは何事か、とも感じちゃうんですよねえ。砂蠍衆のほとんどの皆さんが、ドマの人の受け入れを拒絶するのも当然だと考えてしまう。
むしろ、「ドマの人たちかわいそう」という感情にいっぱいになってる人たちへの不信感が育ってしまうところです。
や、確かにドマの人たち、大変だと思うし気の毒だとも感じるんだけど、今、目の前にいる霊災難民やアラミゴ難民のみなさんだって同じくらい気の毒だよね、とも感じます。そういう人たちを忘れてしまったの? というわけで不信感が育つのですな。
だからこの時期の、ウルダハ王党派の皆さんに対しては「うーむ」という気持ちになるんですよねえ。
確かに共和派の皆さんにだって問題はあるけれど、でも、情けを振り撒き過ぎてウルダハの国庫を逼迫状態まで追い込んでいる王党派の皆さんにだって問題あるんじゃね? と今のわたしは感じたのでした。難民保護を訴えたけれど、具体的にはぜーんぜん、動いていないんだもの。共和派の皆さんにだって不満は出てくるよねえ、と考えました。
困窮している人を助けたいならお金を与えるのはダメ、生きてく手段を与えることが大切だ。
と、十二国記で、とある王様がおっしゃってた!(そこかい)
でもこの言葉はその通りだと思うんですよねえ。だから、のちに登場する、ナナモ様がロロリトさんに歩み寄るようになる展開は大好きです。最強の彫金師さまのアドバイスがあったことも関係していると思いますが、ようやく共和派の人たちへの敵対心が消えたな、共和派の人たちだってウルダハの民なんだよ、と語りかけたくなる展開なんですよね、あそこ。
なので、この時期のナナモさまとラウバーンはちょっと苦手。
王制をやめてもさ、問題が消えるわけじゃないと思う。ナナモさまご本人が望まなくても、元王様の扱いは難しいものになるだろうから、かえって問題が増えるだけじゃないかなあ、と思ってしまう。というか、共和派への人たちへの認知、歪んでませんかーという気持ちになるんですよねえ。共和派の面々をこのウルダハから取り除いてみせるぞ、うぉーとラウバーンさんが叫んでましたが、おいおいおい、というツッコミをかましてしまう。
自分達は未熟だと捉えてるけれど、自分達を正しいとも捉えてるんだなあ。
そういうところが、ちょっと、ビミョーだなあ、とも、わたしは思ったのでした。
どんな人間にも欠点はある。
だから成長の余地があるんだなあ、とも感じた一幕でございました。